■調査の概要
 この遺跡は筑後川の支流、小石原川の氾濫原(はんらんげん)に営まれた集落跡です。今から約2千年前の弥生時代中期から古墳時代前期までの約三百年間人々が住み続け、弥生時代後期(2〜3世紀頃)には集落を濠(ほり)で囲んだ大集落となりました。遺跡公園は、この最盛期頃の様子を復元しています。
■遺構
 この遺跡の特徴は、集落を幾重にも廻る濠(環濠かんごう)とその濠に区画された集落群です。
 環濠は河川の氾濫原につくられているために、断面はV字形にはならずに緩やかな傾斜をしています。また環濠内には水が流れ、調査では木製品の他に大量の樹木の葉が堆積していました。
 また環濠に区画された、中央の大きな集落と周囲の集落とには、それぞれ役割分担があり高床倉庫だけで構成される区域や、装飾品や木製品をつくる工房域などがありました。
 中央集落には、2棟が並列した掘立柱建物(祭殿)があり、それを取り囲むように竪穴(たてあな)住居が建てられていました。また北側には竪穴住居と対になる大型建物跡(首長館)が確認されています。
 高床倉庫跡には、中央集落とつながる橋の痕跡も確認されています。さらには集落西側では、環濠と環濠の間に柵列(さくれつ)跡が確認されています。

■遺物
 検出された約300軒の住居跡からは、日常生活に使われた大量の土器が出土し、環濠からは、建物の部材や木製品なども見つかっています。部材には柱やネズミ返しなどの他に柱を支える礎板(そばん)(柱の下に敷いた板)といった高度な技術をうかがい知る貴重な発見もありました。
 首長館付近からは、小形彷製鏡(こがたほうせいきょう)が見つかり、佐賀県北茂安町白壁白石遺跡出土の鏡と同じ鋳型(いがた)でつくられたことが確認されています。また工房跡からは、管玉(くだたま)や木器の未製品の他貨泉(かせん)(1世紀頃、中国でつくられた貨幣)が出土しています。このように他の地域とつながりを示す貴重な遺物の出土もこの遺跡の特徴といえます。


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