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平和な時代だからこそ、 |
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| 甘木鉄道太刀洗駅を降りて、国道500号を渡り、南へ行くと小さな広場(原地蔵公民館)と出くわします。「西日本航空発祥の地」と刻まれた石碑が建つあたり一帯は、かつて旧日本陸軍が東洋一と誇った太刀洗飛行場があったところです。この飛行場の分教場だったのが、特攻基地として知られる鹿児島の知覧。ともに歴史にその名をとどめる飛行場です。 | |
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クヌギやクス、カヤ、竹ガサが生い茂る広大な原野を5年がかりで切り開き、大正8年に開設されたこの飛行場には、はじめ航空第四大隊が配備され、大正14年には航空第4連隊に昇格、昭和3年の天津動乱では初めてここから軍機が出撃しています。 飛行隊の配備に伴い、飛行場周辺には兵舎や病院も設けられました。昭和13年には、近隣に高射砲隊や第百部隊、航空支廠などが配置され、飛行場北には軍用練習機などを生産する太刀洗航空機製作所が建設されます。翌14年には物資輸送のために省線甘木線(現在の甘木鉄道)が開通、飛行場前には太刀洗駅が設けられました。 こうして太平洋戦争開戦前夜の昭和15年頃ともなれば、旅館、写真館のほか商店も軒を連ね、飛行場界隈はちょっとした軍部のにぎわいを見せていたほど。 そして、翌昭和16年、我が国は太平洋戦争に突入。戦火が拡大するにつれて、中国・南方方面をにらんだ空の軍事拠点として、太刀洗飛行場の重要性は高まり、やがて戦局の悪化に伴い、あの特攻隊の出撃という暗くて重いクライマックスを迎えることになったのでした。 昭和20年3月、二度にわたる大空襲で太刀洗飛行場は壊滅。終戦とともに、辺りには何事もなかったかのような静けさが帰ってきました。 現在、のどかなレールバスが行き来する太刀洗駅は死を決して大空に飛び立った若き特攻隊員たちが、肉親たちと最後の別れを交わしたところ。駅舎内には「大刀洗平和記念館」が設けられており、戦後半世紀を経た今もなお平和の尊さを永遠に語り継いでいます。 |
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ただ今建て替えにて、一時閉館中!! 大刀洗平和記念館 本物の飛行機が目印の「大刀洗平和記念館」(甘木鉄道太刀洗駅駅舎内) |
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○開 館:AM9:30〜PM5:00(年中無休・都合により休館) |
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| △平成8年秋、博多湾で引き揚げられた旧日本陸軍の九七式戦闘機。平成9年8月から「大刀洗平和記念館」横に一時保管・展示。 | ||
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