秋月街道(あきづきがいどう) ・石畳
・涙坂(なみだざか)
・潭空庵(だんごあん)
秋月城下町 ・秋月郷土館
・日限地蔵院
・日照院
秋月の乱
秋月目鏡橋
甘木祇園山笠
甘木公園(丸山公園)
甘木鉄道&沿線情報
あまぎ水の文化村
甘木歴史資料館

1.秋月街道(あきづきがいどう)
筑後と豊前とを結ぶ道で秋月藩分知直後の寛永年間(1624−38)に整備され、参勤交代にも使われました。街道名は秋月藩5万石の城下町を通ることに因みます。
★経路1・・・久留米〜秋月〜小倉★
松崎・野町・秋月・千手・大隈・猪膝・香春に宿場があった。現在の行政区画では、久留米市・小郡市・大刀洗町・三輪町・甘木市・嘉穂町・山田市・田川市・香春町・北九州市小倉南区。この道はもともと秋月城下町の東西を貫通していましたが、秋月藩分知後すぐに防衛的理由から城下町の中心で直角に曲がる新道に付け替えられました。これを新八丁(しんはっちょう)と言い、旧道は旧八丁と言います。
★経路2・・・久留米〜秋月〜白坂峠〜長崎街道★
★石畳
秋月害道白坂越と旧八丁越の道には当時の石畳が残されています。
★涙坂(なみだざか)
白坂越は、江戸時代の参勤交代に最もよく利用されました。江戸参勤に向かう主人を最後に秋月城下を見下ろすことのできる所まで家族が見送り、3年間の別れを惜しんで涙を流しました。白坂越高内と白川との間にあるこの場所は、今も「涙坂」と呼ばれています。
★潭空庵(だんごあん)
旧八丁越の茶屋で、現在は納涼場としてにぎわっています。元禄のころ、ここに潭空庵(たんくうあん)と呼ばれる庵寺があり、それがここの渓流の名称になったと言われ、近くには秋月街道の石畳が残されています。
2.秋月城下町
建仁3年(1203)原田種雄(たねかつ)は、鎌倉幕府から秋月庄を賜って秋月氏を名乗ります。その後、天正年間秋月種実(あきづきたねざね)の時代には筑前・筑後・豊前の3国のうち、11郡(36万石)を領しました。しかし、天正15年(1587)豊臣秀吉の九州侵攻で敗れ、日向財部(宮崎県高鍋町)に移封されます。慶長5年(1600)黒田長政が筑前国に封じられると、秋月の地1万石が叔父の黒田図書助直之に与えられ、その後元和9年(1623)長政の3男である長興(ながおき)が第2代福岡藩主黒田忠之から夜須・下座・嘉麻3郡の内5万石を分与されて、秋月藩が成立しました。
中世の秋月氏時代は、度重なる戦乱で城下町を形成するには至りませんでした。黒田長興が秋月入付に際して図書助直之が使用していた館を修理して移り住み、城下縄張りを行って以降城下町としての形が整い、秋月千軒と言われるほどの賑わいを見せるようになりました。
国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた秋月(平成10年4月)。自然景観では特に周囲の山々と町を流れる水系が美しさを引き立てています。人文景観では特に周囲の山々と町を流れる水系が美しさを引き立てています。人文景観としては建造物・石垣・堀等があり、主な建造物では町家に特徴を持っています。通りに面して平入り、・妻入りの屋根が混在して並んでいますが、郡としての調和はみごとで、当時を思わせる町並みを形成しています。
★黒田長興の秋月就封
秋月藩初代藩主黒田長興は、父の長政が寵愛した子。長政は長興を福岡本藩の後継者と考えていましたが、重臣達の反対もあって長子の忠之を本藩の2代藩主に決めました。長政は、臨終に際して所領52万2500石のうち、夜須郡・嘉麻郡等5万石を長興に分与するよう申しつけました。これにより、長興は秋月に本拠を置くこととなりましたが、本藩藩主となった忠之は、長興を福岡城内に留め置き、軟禁状態にします。長興付の家臣達は長興を擁護して福岡城を強行出奔させて秋月に就封させました。
★秋月郷土館(戸波半九郎屋敷跡)
昭和40年11月完成。秋月藩関係資料を展示する資料館と美術館があります。秋月藩時代の馬廻組戸波家の屋敷であったことから、資料館になっている宝物蔵(当地へ移転)のほか、母屋・長屋門・庭・井戸などが当時のまま残されています。美術館には、横山大観・ルノアール・ピカソなどの絵が展示されています。
★日限地蔵院(ひぎりじぞういん)
秋月藩士後藤他門が江戸参勤交代のとき、大病(腸チフス)を患い、一命が危ないところを江戸芝の松秀寺日限地蔵尊に祈念し、病を完治したことから、日限地蔵尊の分身を勧請安置しました。その後、嘉永6年(1853)藤田吉蔵が地蔵院を再建しました。見事な石垣は、明治33年に地元の内田幾太郎が熊本城を参考に築いたものです。
★日照院(にっしょういん)
秋月黒田家の祈祷所。藩主黒田長興により虚空蔵菩薩が寛永元年(1612)に創建。毎年1月13日に「虚空蔵まつり」が開催されています。このとき、さい銭箱のお金を借りて翌年倍額にして返せば、家内安全・商売繁盛・疾病も退散すると言われています。
3.秋月の乱
征韓論をはじめとする政策の対立、西洋文明の輸入への憤慨、士族の処遇への不満、家計の逼泊などで不平をいだく士族は全国各地にいました。秋月では士族を中心に幕末の攘夷思想が尾を引き、新政府の政策を西洋かぶれとし、政権打倒、外圧排除を主張しました。
  こうした中・・・
○明治7年(1875)江藤新平、島義勇ら佐賀の士族が挙兵(佐賀の乱)
○明治8年(1876)4月政府は小倉に歩兵第14連隊を新設
○明治9年(1877)3月廃刀令→かつての身分階級につながるものは士族の称号のみとなってします
○同年10月24日熊本神風連(敬神党)蜂起、翌日敗退
○同年10月27日今村百太郎を隊長とする秋月等が挙兵
○田中天満宮、西福寺(現在は廃寺)に集合、甘水(あもうず)の明元寺で警部穂波半太郎を斬殺。
○30日 城井谷を上って彦山方面へ敗退→小石原→江川谷→栗河内
○31日 終日軍議 解散決定
○今村百八郎ら27人は古処山を経て秋月に下り、辻の学校を襲撃→三箇山に潜行→11月24日今村百八郎逮捕。
4.秋月目鏡橋(県指定有形文化財 昭和31年4月3日)
福岡本藩の代わりに命じられた長崎警護のおり、石橋群を始めて見て、その頑丈さに感銘した秋月藩8代藩主黒田長舒は、秋月城下野鳥川(のとりがわ)にかかる木橋が流されたり腐ったりしてその維持費に頭を痛めていたことから、このような石橋の建造を考えていましたが、資金の面で見合わせざるを得ませんでした。
文化2年(1805)になると家老宮崎織部などの進言もあり、架橋を決意します。文化4年、2年を費やしてほぼ完成していた石橋ですが、無残にも轟音とともに敢え無く崩壊してしまいました。しかも、藩主長舒も急逝します。
   石材に頑強な花崗岩を使ったためか、長崎の石工名人達も一度は架橋の失敗!
それから2年後の文化6年(1809)秋、再度着工され、翌年文化7年10月23日9代藩主長韶(ながつぐ)が見守る中、石橋は完成しました。
★このアーチ石橋は、架橋年代の古さとともに、他の石橋にない数々の特徴を持ち、国指定の価値があると言われています。
○他の橋が加工しやすい安山岩や砂岩を使用しているのに対して、秋月目鏡橋は固い花崗岩(御影石)を使用。
○洪水対策として道路よりも高く架けた。(したがって、まず石段を登って橋を渡るという構造。現在は石段の部分は埋められている。)
○川床に江戸時代の石畳が今も残されている。
5.甘木祇園山笠
約300年の伝統を持つ須賀神社の夏祭り。須賀神社は、元応2年(1320)筑前国承天寺真翁和尚が開山した大雄山祇園寺が起こりで、祭神は稲田姫・素盞鳴尊(すさのおのみこと)・火産霊命(ほむすび)・大己貴(おおなむち大国主)命・少彦名神(すくなひこな)です。旧甘木の鬼門に当たる北北東に建てられ、海運厄除の神として南を向いて町を守るとされています。
山笠神事は慶長から江戸初期にかけて始まりました。そもそもは疾病流行に妻子、御輿を造り、ご神体を還して町中を練り回った事によります。現在の山笠神事は、7月1日のお汐井採りに始まり、13日には子供の樽御輿が町中を練り歩き、15日には「追山(おいやま)」と呼ぶひき山笠が町内を威勢良く引きまわり、高さ10m余りの飾り山笠も境内に飾られ、祭り気分を盛り上げます。
★須賀神社の文化財
祇園の大樟(県指定 昭和32年)  本殿(県指定 昭和37年)
社倉(備荒庫附由緒碑 県指定 昭和49年)
6.甘木公園(丸山公園)
丸山公園の名で市民に親しまれている甘木公園は、明治35年頃、琴平山に続く丸山の頂上を平にして、公園づくりが始まりました。大正4年には御大典記念(大正天皇即位の大礼)として、当時の甘木町が公園地域を拡張、桜を植樹して現在の基礎がつくられ、翌大正5年に甘木公園が設置されました。

昭和9年「昭永橋」を架橋。昭和13年ひょうたん山に忠霊塔を建設。昭和25年5月12日筑後川県立公園の一部として指定。1500坪を拡張。昭和26年昭栄橋の架け替え。昭和28年1月29日都市公園決定。昭和30年までに児童遊具施設、舞台、菖蒲池完成。昭和34年市民グラウンド整備。昭和45年以降溜池を埋め立てて昭和46年勤労青少年体育センター、昭和47年勤労青少年ホーム、付設グランド等を整備。昭和46年市民の森造成。平成2年野外ステージ完成なぢ、時代とともに施設が充実されていきました。現在は、噴水や浮き桟橋などの親水施設やアスレチック施設も整備されています。

公園一帯は、「鬼の枕」を始め、霊塔となっている「ひょうたん山」、神社の境城となっている「金比羅山」、公園化された「丸山」「銅像山」と俗称される城ヶ鼻など考古学上有意義な古墳跡でもあります。
 
7.甘木鉄道&沿線情報
昭和61年4月第3セクター鉄道としてスタートしました。甘木−佐賀県基山町14kmを結ぶレールバスです。途中の小郡駅では西鉄電車(大牟田線)と、基山駅ではJR鹿児島本線と接続しています。線路は昭和14年4月28日に開通した旧国鉄甘木線のものを利用しており、途中高田・太刀洗・山隈・西太刀洗・今隈・松崎・大板井・小郡・立野の駅があります。
★沿線情報★
大刀洗平和記念館
甘木鉄道太刀洗駅構内に昭和62年4月オープン。太平洋戦争で尊い犠牲となられた方々の鎮魂と永遠の平和を守り続けるために、旧大刀洗飛行場に近いこの駅に設置されました。若き特攻隊の遺影や遺書、戦中備品のほか、旧陸軍九七式戦闘機が展示されています。
(大刀洗飛行場関連年表)
 大刀洗飛行場完成    大正8年10月
 大刀洗航空機製作所株式会社として独立  昭和12年12月
 甘木市立石町一ツ木に高射砲第四聯隊開隊  昭和13年7月
 国鉄甘木線完成  昭和14年4月
 第五航空教育隊開隊  昭和14年12月
 大刀洗航空廠  昭和15年7月
 大刀洗陸軍飛行学校開隊  昭和15年10月
 技能者養成所開所  昭和17年4月
 大刀洗陸軍飛行学校甘木生徒隊に少年飛行兵2千名入隊  昭和18年10月
 大刀洗陸軍飛行学校特別攻撃隊編成  昭和20年1月
 大刀洗陸軍飛行学校閉鎖  昭和20年2月
 米軍爆撃  昭和20年3月
 四機の大型特攻機沖縄へ直接出撃
キリンビール福岡工場
昭和39年に甘木市が誘致した企業です。ここにはゲストホールがあり、工場見学者は、出来立ての生ビールの子音もできます。工場そばの広大な畑に、春はポピー1000万本、秋はコスモス1000万本が咲き誇ります。
8.あまぎ水の文化村
平成5年11月オープン。楽しく遊びながら水について学ぶ学習施設であると同時に、身近な自然に触れ、スポーツやレクリエーションを通じてゆとりを満喫できる観光施設でもあります。
アクアカルチャーゾーン
水と人、水と生物の関わりを楽しみながら学んだり、体験を通して水の大切さ、水の美しさ、水の不思議さを感じます。
グリーンスポーツゾーン
広々と芝生を敷きつめたスポーツ広場。親水池・アスレチック冒険広場・交流広場などがあり、家族そろって1日楽しく過ごせる広場です。
水辺のふれあいゾーン
四季を彩る花々が咲き誇る「花のエントランス広場」をメインに梅と桜の広場・芝生広場などがあります。ここからは寺内ダム湖が一望できます。
9.甘木歴史資料館
九州歴史資料館の分館として昭和60年5月25日オープン。主に甘木朝倉地方の考古・民俗資料を収集・保管・展示しています。福岡県が設置、甘木市が管理運営する施設です。5000ヘイホーメートルの敷地内には、梅・桜・山もも・椎などが植えられた回廊式の庭園があります。建物は、腰部を斜格子のナマコ壁として白壁士蔵風の2階建てです。
第1展示室・・・民俗・歴史・郷土産業
農事暦と年中行事にあわせて農耕具や祭礼用具を展示。歴史のコーナーでは三連水車模型、天然痘予防の種痘法をわが国ではじめて成功させた秋月藩医緒方春朔などを紹介。
第2展示室・・・考古
縄文〜弥生時代では日常生活用の土器・祭祀用の丹塗り土器、青銅製品などから古代の食生活やまつりの様子がうかがえます。古墳時代では三角縁神獣鏡のほか、新しい焼き物「須恵器」や盾持ち人形埴輪などを展示。中世以降では、タイムカプセルである経筒、秋月城跡から出土した朝鮮鐘などを展示。(月曜日休館)

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