| 2.秋月城下町 |
| 建仁3年(1203)原田種雄(たねかつ)は、鎌倉幕府から秋月庄を賜って秋月氏を名乗ります。その後、天正年間秋月種実(あきづきたねざね)の時代には筑前・筑後・豊前の3国のうち、11郡(36万石)を領しました。しかし、天正15年(1587)豊臣秀吉の九州侵攻で敗れ、日向財部(宮崎県高鍋町)に移封されます。慶長5年(1600)黒田長政が筑前国に封じられると、秋月の地1万石が叔父の黒田図書助直之に与えられ、その後元和9年(1623)長政の3男である長興(ながおき)が第2代福岡藩主黒田忠之から夜須・下座・嘉麻3郡の内5万石を分与されて、秋月藩が成立しました。 |
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| 中世の秋月氏時代は、度重なる戦乱で城下町を形成するには至りませんでした。黒田長興が秋月入付に際して図書助直之が使用していた館を修理して移り住み、城下縄張りを行って以降城下町としての形が整い、秋月千軒と言われるほどの賑わいを見せるようになりました。 |
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| 国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けた秋月(平成10年4月)。自然景観では特に周囲の山々と町を流れる水系が美しさを引き立てています。人文景観では特に周囲の山々と町を流れる水系が美しさを引き立てています。人文景観としては建造物・石垣・堀等があり、主な建造物では町家に特徴を持っています。通りに面して平入り、・妻入りの屋根が混在して並んでいますが、郡としての調和はみごとで、当時を思わせる町並みを形成しています。 |
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| ★黒田長興の秋月就封 |
| 秋月藩初代藩主黒田長興は、父の長政が寵愛した子。長政は長興を福岡本藩の後継者と考えていましたが、重臣達の反対もあって長子の忠之を本藩の2代藩主に決めました。長政は、臨終に際して所領52万2500石のうち、夜須郡・嘉麻郡等5万石を長興に分与するよう申しつけました。これにより、長興は秋月に本拠を置くこととなりましたが、本藩藩主となった忠之は、長興を福岡城内に留め置き、軟禁状態にします。長興付の家臣達は長興を擁護して福岡城を強行出奔させて秋月に就封させました。 |
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| ★秋月郷土館(戸波半九郎屋敷跡) |
| 昭和40年11月完成。秋月藩関係資料を展示する資料館と美術館があります。秋月藩時代の馬廻組戸波家の屋敷であったことから、資料館になっている宝物蔵(当地へ移転)のほか、母屋・長屋門・庭・井戸などが当時のまま残されています。美術館には、横山大観・ルノアール・ピカソなどの絵が展示されています。 |
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| ★日限地蔵院(ひぎりじぞういん) |
| 秋月藩士後藤他門が江戸参勤交代のとき、大病(腸チフス)を患い、一命が危ないところを江戸芝の松秀寺日限地蔵尊に祈念し、病を完治したことから、日限地蔵尊の分身を勧請安置しました。その後、嘉永6年(1853)藤田吉蔵が地蔵院を再建しました。見事な石垣は、明治33年に地元の内田幾太郎が熊本城を参考に築いたものです。 |
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| ★日照院(にっしょういん) |
| 秋月黒田家の祈祷所。藩主黒田長興により虚空蔵菩薩が寛永元年(1612)に創建。毎年1月13日に「虚空蔵まつり」が開催されています。このとき、さい銭箱のお金を借りて翌年倍額にして返せば、家内安全・商売繁盛・疾病も退散すると言われています。 |