| 1.3巨人 |
| 緒方春朔(おがたしゅんさく)(1748−1810) |
| 漢方医学を学んだ後、長崎に遊学して蘭医学を修めた緒方春朔は、天明年間に秋月藩8代藩主黒田長舒に認められて藩医となりました。そして、寛政2年(1790)に天然痘予防を人痘種痘法にて成功させました。これは英国のエドワード・ジェンナー(牛痘種痘法)よりも6年も前のことです。この種痘は鼻乾苗法と呼ばれる方法で、緒方春朔は、種痘成功後もこれを自分の秘伝とせず、この種痘を広め、子供達を天然痘から守るために「種痘必順弁」(我が国の医学史上初の種痘書)を和文で著しました。(秋月城跡と甘木朝倉医師会病院内に顕彰碑が、長生寺境内に墓碑があります。) |
| 宮崎湖処子(みやざきこしょし)(1864−1922) |
| 田園詩人陶淵明の詩を愛し、ワーズワースを最初に訳したことからも分かるように、小説、詩ともに田園情緒にあふれています。散文詩の代表作「帰省」は、当時の文壇、詩壇に大きな反響を呼び起こし、明治末年までに20数版を重ねるベストセラーとなり、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」にも影響を与えました。また、いとし子による母親の愛情にあふれた「おもひ子」は、現在の皇后陛下が皇太子誕生時に曲をつけられました。合唱組曲「あさくら讃歌」にも組み入れられています。詩碑が生誕の地甘木市三奈木に建立されています。 |
| 豊島与志雄(とよしまよしお)(1890−1955) |
| ビクトルユーゴーの「レ・ミゼラブル」、ロマンロランの「ジャン・クリストフ」などの翻訳で我が国の仏文学界に大きな業績を残すとともに、久米正雄や芥川龍之介に深い影響を与えるなど、大正以降の文壇をリードしてきました。椋鳩十の恩師でもある彼はまた、120編にのぼる童話を残しています。そのどれもが解放感・透明感・ユーモアに満ち、作品の多くに甘木の自然風景が登場します。晩年は初代の日中友好協会の副会長(会長空席)として日中の架け橋としても活躍しました。昭和52年には生誕の地に記念碑が建立され、地元福田では毎年追悼の行事が開催されています。 |